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紫煙亭の書斎から:塩を巡る物語 ~我々が食卓から奪われた、生命の記憶~

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やあ、諸君。紫煙亭の主人だ。

一服の煙と共に思索に耽るこの時間、今宵の肴は実に味わい深いテーマ、「塩」の話としよう。

諸君の食卓には、どんな塩が置かれているだろうか。スーパーに行けば、世界各国の様々な塩が並び、我々はさも当たり前のようにそれを手に取る。だがね、この「当たり前」が、実は先人たちの血の滲むような闘いの末に勝ち取られたものであることを、一体どれほどの人が知っているだろうか。

先日、結び大学の興味深い動画を拝見した。生体師の礒谷 誠先生らが語る「塩の真実」は、まさに目から鱗が落ちるような話の連続だった。今回はその内容を私なりに紐解きながら、一献傾けたいと思う。

純粋という名の毒 ~科学塩の誕生~

我々が「塩」と聞いて思い浮かべるしょっぱい味。しかし、その中身は大きく二つに分かれるという。一つは、海水から手間ひまかけて作られ、マグネシウムやカリウムといった豊富なミネラルを含む「自然塩」。そしてもう一つが、戦後、特に1971年のイオン交換膜製塩法によって大量生産されるようになった「科学塩」だ。

動画によれば、この科学塩はミネラルを一切含まない、純度99%以上の塩化ナトリウム(NACL)の塊。礒谷先生はこれを**「純粋に体に悪いものを作った」**と喝破したが、言い得て妙だ。純粋という言葉ほど、時に厄介なものはない。生命に必要な多様なミネラルを削ぎ落とした「純粋な塩」は、もはや生命の糧ではなく、体に負担をかけるだけの存在になり果ててしまった。

驚くべきことに、この科学塩は10g以上摂取すると体に危険を及ぼすという。現代に蔓延る「減塩神話」の根源は、ここにあるのではないかね。本来、生命維持に不可欠な塩分を、あたかも悪者のように扱う風潮。その裏には、質の悪い塩を基準にした、大きな誤解が横たわっていたわけだ。

塩を取り戻す、知られざる闘争

さらに衝撃的なのは、かつて日本では「自然塩」を自由に作ることさえ禁じられていたという事実だ。GHQの政策に始まり、国の専売事業として、安価で大量生産できる科学塩が市場を席巻した。

これに最初に異を唱えたのが、なんとラーメン屋だったというから痛快じゃないか。「こんな塩じゃ、美味いラーメンが作れるか!」という職人たちの魂の叫びが、自然塩復活運動の狼煙(のろし)となった。

また、当時は日本本土でなかったが故に規制を免れていた沖縄の「シママース」が、ある種の“密輸品”として料理人たちの間で重宝されたというエピソードも興味深い。法や制度の網の目をかいくぐってでも、「本物」を求める人々の情熱。そこには、単なる味へのこだわりを超えた、生命の根源に対する渇望があったのだろう。

この運動に人生を捧げた多くの先人たちの20年、30年にも及ぶ苦闘の末に、我々は今、ようやく自由に本物の塩を選べる時代にいる。食卓の塩壺を眺める目が、少し変わってくるのではないかね。

塩が映し出す、生命の在り方

動画の中で、塩不足は精子の活動を弱め、ひいては人間の気力や決断力をも削ぐという話があった。「塩抜けは腑抜けに通ず」ということか。塩が足りなければ、物事をやり遂げる求心力も、約束を守る律儀さも失われる。実に面白い指摘だ。

塩は、単に味付けのためだけにあるのではない。

  • 体内の水分を保持し、細胞を正常に機能させる。
  • 神経や筋肉の働きを司り、生命活動の根幹を支える。
  • 本当に良い塩は、しょっぱいのではなく「甘く美味しい」と感じる。

そして何より、塩は「土地の記憶を宿すもの」だという。アンデスの岩塩、ウユニの湖塩、日本の海塩。それぞれが、その土地の風土や歴史を記憶した結晶なのだ。多様な塩を摂ることは、世界中の記憶を体内に取り込み、生命の調和を図ることにも繋がるのかもしれない。

終わりに

今回の動画は、身近な調味料である「塩」というプリズムを通して、健康の本質、歴史の裏側、そして商売の道徳までをも見事に映し出してくれた。

我々は今、あまりにも多くのものを「当たり前」として享受しすぎているのかもしれない。諸君も今一度、ご家庭の塩を手に取ってみてほしい。それはどんな物語を持つ塩だろうか。そして、料理に合わせて塩を使い分けるように、物事を多角的に捉え、その本質を味わう愉しみを思い出してみてはいかがだろうか。

今宵は、上質な自然塩を肴に、一杯やることにしよう。きっと、いつもより酒が美味く感じられるはずだ。

では、また次の思索の刻に。